バリ島のカメラマン会社代表の橋本さんの起業、写真への思いとこれからのビジョン

今回はカメラマン橋本忠義さんにインタビューをしてきました。

橋本さんはカメラマン会社、BLESSの代表であり、自身もカメラマンです。そんな橋本さんとカメラを中心にした今と過去、そして未来についてお話を聞いてきました。

この記事により、バリ島ウェディングツアー撮影会社BLESSの代表は、こんな風に写真に対して思っていているのか。どういう風にサービスクオリティをあげる努力をしているのか。一度しかない瞬間を撮影する事に対してどんな準備しているのか。などといったことをわかっていただけると幸いです。

※ この「バリ島中の人」のコーナーはバリ島にも沢山の凄い人がいることをわかって欲しいと連載しています。毎日バリ島に旅行に来られる方のために入念に準備している方、心から楽しんでほしい!と新しいものを開発している方、バリ島の認知度をあげるために日々努力している方などにフォーカスを当てて、そんな方々をもっともっと旅行者の方にも知ってもらいたく、パスカクが魅力ある人を紹介しています。

カメラマンであり撮影会社BLESS代表 橋本忠義

カメラマンであり撮影会社BLESS代表 橋本忠義

1.橋本忠義さん自己紹介

– まずは自己紹介をよろしくおねがいします。

こんにちは。橋本忠義39歳です。BLESSというカメラマンの会社の代表で、私自身もカメラマンです。バリ島在住歴はもう15年目になります。

– 僕とも結構前からお友達ですよね。

そうですねー。共通の日本人の紹介でもう10年以上お互いに知ってることになりますね。年も取るわけです。あの頃は若かったし、お互いに今とはまったく違う環境にいましたね。

– お互い20代ですから。笑
さて、いろいろ橋本さんのことを改めて聞いて、こんな日本人がバリ島にいるんだということを記事として残していきたいと思っています。さっそくですが、何故カメラの仕事をバリ島でやろうと思ったんですか?

実は南国に住むということは 学生時代からの夢だったんです。17歳くらいの時でしょうか。

社会に出て、職業としてカメラマンの仕事を選択したわけですが、その時の所属していた撮影会社が海外進出をすることになり、ハワイ、グアム、バリと渡り歩きました。

– ハワイ、グアムにも居たんですよね。結婚して間もないときだったと聞いたことがあります。

ハワイは3ヶ月。グアムには1年。バリ島には2003年に移住してきました。2002年に結婚して、2003年に長男は丁度バリ島に入る時に生まれました。

その後に家族でバリ島に移住していますが、現在は家族は日本で私はバリ島と日本をいったりきたりって感じです。

千年の祈り

千年の祈り

2.バリ島でカメラマンとして撮影会社を起業

– バリ島で会社をやるというきっかけはあったんですか?

所属カメラマンとして出向で来ていたバリ島だったんですが、2005年に所属先の会社が倒産したというのが直接のきっかけですかね。

出向カメラマンとしてメインでやっていたウェディング関係を中心に写真を撮るという仕事をバリ島に根付かせたい、もっとお客さんに笑顔になって欲しいと思い、会社をおこしてマネージメントしようとしました。

当時のバリ島には日本人カメラマンは私しか居なく貴重な存在でしたし、チャンスだと思いました。

まわりのローカルカメラマンはまだ育っておらず、ちゃんと教える人も状況でシャッターを押しているだけといった感じでしたし。

– 長い付き合いですもんね。いろいろ苦労は知ってますし、一緒にやらせてもらったことも多いですね。

そうですね。ロゴはノブさんのところで制作してもらいました。とても気にっています 。

BaliDeepにもノブさんとも一緒に参加しましたよね。起業してばかりのときは、やはり知名度がなく自分自身をプロデュースしてカメラマン橋本忠義を売ることに力をいれました。その一環としてBaliDeepに参加したんです。

– ですね。BaliDeepは個人的にとても勉強になるイベントでした。色々と勉強させてもらいました。

桃源郷

桃源郷

3.起業から13年

– 起業したから現在までの流れを軽く説明していただけますか?

2005-2010年は営業と自身をプロデュースすることと個の写真のクオリティーをあげる事に費やしました。

2010-2015年は新たなマーケットの開拓や在籍日本人カメラマンの育成に費やしました。この時期は日本人カメラマン4名とローカルカメラマン2名。

2015年 -2017年 もマネージメントに力を入れています。

2017年後半から経営方針を少しずつシフトしていくようになりまいた。 この時期にセブ島に進出しました。

– 日本人カメラマン在籍率もバリ島一で、BLESSは凄く賑やかというイメージがありますが今はどうなんでしょうか。

2018年現在では日本人カメラマン2名、ローカルカメラマン7名という構成です。

– 現在はローカルカメラマンが多いですね。意味があるのですか?

そこはとても注目しているところなんです。後ほど詳しくお話させてください。

フラワーシャワー ウェディング風景

フラワーシャワー ウェディング風景

4.カメラマンという仕事と魅力

– ちょっと方向を変えまして、自身もカメラマンということでこの仕事と魅力について教えてください。

まずカメラ、写真のことを話す時に外せないのはカメラがデジタル化したことです。私はフィルムの時代に修行しているのですが、デジタル化したことで仕事の仕方もかなり変化しました。

カメラを買えば誰でもカメラマンを名乗れる時代になりましたし、仕上がりへの調整も何度もトライすることができます。SNSなどにアップしみんなに公表し、評価してもらうシステムもあります。

このような背景を羨ましく思う一面もあり、現代ではカメラマン1本で仕事をするというのはとても難しくなってきた現実もあります。ここ10年以内にカメラマンだけの仕事をして生活できる人は半数以下になると感じています。

– そうですよね。デジタル化はとても大きな波だと思います。では、その波に乗りながらカメラマンという仕事をするにはどのような方法があり、橋本さんはどういう立ち回りをしようと思っているんですか?

デジタル化することで、誰でもカメラマンになれるという事は間違いないのですが、その中で何を残していくのかというのが鍵になると思っています。

やはり成果物である写真の魅力を高めること。初心を思い出し、もう一度考え抜くことだと感じています。

海岸沿いの木と2人 ウェディング風景

海岸沿いの木と2人 ウェディング風景

– 橋本さんが考える写真の魅力とは?

時を止める力。時をさかのぼる力。この2つがまずあると思います。そしてその一瞬を魅力的なものにするかしないかは、お客さんとのキョリだと私は考えています。キョリが近くなればお客さんの魅力を引き出すことができて、そのお客さまの魅力が写真に宿ります。結果、写真が魅力的になるという感じです。

メインの仕事はウェディング関係が多いので、撮るものは人になります。その人にどれだけ心を開いてもらえるか。

心を開いてもらえれば自然と何を欲しているのか、どんな一瞬がお客さんに似合うのかを感じとる事が出来るのです。とてもキョリが近くなったと感じる時に撮る写真と、まだキョリが近づききれてない写真を比較すると、格段に前者の方がカメラマンとしても自信が持て、お客さまも納得する写真が多く残せるのです。

– とてもわかる気がします。結局その人の何を引き出せるか、その商品の本質は何かを理解することなのでしょうね。

そういう感じです。私達の技術を使ってお客さんの魅力を撮る。

10年後、20年後にその写真を見返せばその時の情景、感じ、匂い、思い出など脳裏に浮かび上がる。そんな写真を残していきたいですね。

バリ島のサンセットの中、式場に向かう2人 ウェディング風景

バリ島のサンセットの中、式場に向かう2人 ウェディング風景

5.バリ島以外での挑戦

– セブ島でウェディングフォト、ジャカルタでは商業撮影のサービスを展開していますよね。何故バリ島以外でやろうとしたのか。そしてそこは今どんな感じなのでしょうか。

はい。セブ島は基本南国好きなので他の島でも、という気持ちからスタートしました。基本的には私達がバリ島でしてきたサービスを横展開して、プラスセブ島ならではというものを作っていく感じです。現在はおかげさまでとても順調です。
ジャカルタはまったく新しい挑戦です。インドネシアの首都なので、お客さんも日本人ではない場合も多いです。やはりバリ島とは違って首都は広告系の仕事が多いので、この国の最先端のところで勝負する感じです。インドネシア人カメラマンの技術もセンスも上がってきているので、どう日本らしさを出して差別化するかがポイントですね。そして信用をつけていきたいと思っています。

– 色々なところでのチャレンジ、さすがですね。他にも新しい展開を考えているんですか?

来年2019年は石垣島でもやってみようと思っています。こちらは日本法人ということになるので、また新しい挑戦です。ベトナムのダナンも視察を重ねているところです。

私は自分の出来る範囲と出来ない範囲というのが少しわかっていて、全体と方向は見ていきますが、現地の細かいところは任せるスタンスでいます。

色々なことを現地で向かい合い経験することで、カメラマンとして違いを出していけるのはないかと思っています。本当にカメラ1本で勝負するのは難しい時代なので、他の何かがポイントになって結果カメラを持ち続けられればいいですよね。

神秘の森 ウェディング風景

神秘の森 ウェディング風景

6.今後の展開とローカルカメラマンへの期待

– 先程のローカルカメラマンへの期待について詳しく教えてください。

現在7人のローカルカメラマンが在籍しています。とても優秀なカメラマンが育っていると感じています。

カメラマンというのは写真を撮る技術はもちろんなのですが、サービスの部分もとても大切だと思っていて、いいサービスをすることでお客さんとのキョリを縮めて魅力を引き出すことが重要な仕事です。

ローカルカメラマンはお客さんとのキョリを縮める事がとてもうまいんです。

バリ島の魅力の1つにバリ人、インドネシア人の笑顔があると思います。根本的に人間として人懐っこいんで、ローカルカメラマンが撮る写真は魅力的なものになっていきます。

ただ、技術としてはまだまだ駆け出しなので自分が持っている全てのノウハウを伝えて、私なりのスペシャルなローカルカメラマンを育てていきたいと思っており、2015年ごろから育成に全力を注いています。

椰子の木と海とサンセットと ウェディング風景

椰子の木と海とサンセットと ウェディング風景

– 僕もIT業なので痛感していますが、インドネシアの技術者というのは転職することが多いですよね。せっかく育てた人材が急に独立する、転職するなど。その辺はどうやってケアしているんですか。

転職、急な独立は多いですよね。国民性なのでしょうか。

BLESSも6年働いていたローカルカメラマンが独立すると言ったときがありました。ただ私達が会社をつくった年代と違って、今は独立したところで簡単に仕事がある時代ではないんですよ。カメラを買えばカメラマンを名乗れる時代で、プロとしてお金を貰う仕事があることって、よっぽど個人の知名度がないと不可能なのです。

ウェブサイトを制作したり、友人のコネを使って仕事を貰おうと思っていたらしいんですが、結果思ったとおりにいかず出戻りしてきました。やはり蓄積された信用がないと仕事はないと痛感したようです。今はそのカメラマンはBLESSの一員として新しいカメラマンに自分の体験を語ってくれています。

ちゃんとした写真を提供できるように教育してもらえる、経験を積める場を安定して提供してもらえる、しっかりと対価としてお給料を渡せる環境が第一条件になるんですが、実際に独立したときの状況を説明してくれる人の存在が離職率が少ない理由になっていると思います。

– 出戻りしたいと言ってきた時はどんな感じだったのですか。

戻っておいで。という感じです。笑

実力もあるカメラマンだったし、写真をもっと楽しんでとって欲しいと思いましたから。

独立するって決めるのって結構な覚悟だと思うんですよ。実際はその後も覚悟の連続なのですが。自分でやってみて何か変わったのでしょうね。今はとても頼りになる重要な先輩になってくれています。

今、ウチのカメラマンでそんな覚悟のある人が出てきた時は、もちろん応援させてもらいますよ。

南国の風とヴェール ウェディング風景

南国の風とヴェール ウェディング風景

おもいで ウェディング風景

おもいで ウェディング風景

7.あとがき

同じ年代で同じ時期に会社を作った仲間の橋本さん。改めて色々と考えながら進んできたのだと再認識しました。

バリ島は変化がとても早いので、しっかりした軸とチャレンジする実行力がないと埋もれていってしまうのかもしれません。

「究極を言えばバリ島に来る全ての人の撮影を自分がしたいと思っている。そうすれば絶対にクレームなので出ないと思ってるので。本当にクレームが嫌なんですよ。それは不可能だからBLESSの撮影チームが構成されてる。私たちで一生に一度の思い出を最高の形で残してあげたいと心から思っております。」と話してくれたのが橋本さんらしいなと僕は思いました。

また何年後かにお話を記事にしてみたいと思います。その時はどのような変化があるんでしょうか、楽しみです。

こんな橋本さんがプロデュースする現在進行系のBLESS。

BLESSでバリ島のウェディングフォトツアーをやってみませんか?

橋本さん、ありがとうございました。

カメラマン 橋本忠義

カメラマン 橋本忠義

水平線 ウェディング風景

水平線 ウェディング風景

マジックアワーの奇跡 ウェディング風景

マジックアワーの奇跡 ウェディング風景